宮中人事の交代
宮内庁長官 松平慶民 → 田島道治侍従長 大金益次郎 → 三谷隆信実際はGHQ民政局の以降による更迭人事侍従次長の加藤進が反対し、芦田均と田島道治が怒るが陛下の意向と知り恐縮。(徳川義寛『侍従長の遺言』(134p))侍従長の遺言―昭和天皇との50年徳川 義寛 朝日新聞社 1997-01by G-Tools
View Article退位についての発言(マッカーサーへの報告書から)
マッカーサーの副官バンカー大佐から総司令官に提出されたメモに添付されたグリーン予備大佐(参謀第二部諜報担当官)の報告書より六月八日、天皇は宮内府某高官に対し、退位と関連して最近の人事交代が起こった、という噂を話題にした。その時この高官が、思い切って退位問題についての天皇の個人的感想を伺ったところ、天皇は”自分はもし退位することが可能なら、個人的には気が楽になる。しかし同時に、日本で民主主義が達成され...
View Article芦田均の決意
今日は組閣して丁度三月目だ。予算は何とか通ると思う。然しそれからが難航だ。その上六月七日のTimeとNewsweekが天皇退位の問題を書き立てている。それが更に難問だ。私には決心は出来ている。決心通りに行けば、私は閑雲野鶴を侶とすることができる。『芦田均日記』(鶴見俊輔・中川六平編『天皇百話』所収(391p))天皇百話〈下の巻〉鶴見 俊輔 中川 六平 筑摩書房 1989-04by G-Tools
View Article「腹が減った」とおっしゃった天皇
雨はなお降っているが四時半から小雨の中をゴム長に御傘で御出ましになる。千条園から嚶鳴亭、千条園をお抜けになる頃雨が音を立てて降って来たが又間もなく小降りになった。方々で植物をお採らせになる。斎藤君が掘る。霧の中を七時に還御。それから御入浴。八時前に御着席。この時に「ああ腹が減った」と仰せられた由。これは数十年来お始めての事の由、全く難有いことであった。『入江相政日記 第4巻』(63-64p)...
View Article林敬三侍従次長と退位問題について
森岡君の事を頼もうと思って林次長に会わうとしたが、千客万来でなかなか会えない。午后そうそうやっと会える。非常に喜んで下され、あと色々御退位問題についての其後の動向についても話して下さる。『入江相政日記 第4巻』(80-81p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社朝日新聞社 1994-10by G-Tools
View Article田島日記の記述
夜7:30 芦田首相 外相官邸に訪問 Non Partisan お上の意向のこと 想像 抽象論は改めて今は退位論反対をいふ原文はカタカナ Non Partisanは「党派性なしに」?加藤恭子『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(61p)昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見加藤 恭子 文藝春秋 2003-12-11by G-Tools
View Article天皇退位についての田島からの報告
八月二十九日、予ての約束により宮内府長官田島君が午後七時、外相官邸に来訪。 田島君(以下Tと記す)は御退位問題について自分は白紙でいると言った(私も同じであると答えた)。然し宮仕え三ヶ月にして自分は天皇が退位の意思なしと推察している ー...
View Article芦田と田島の退位問題についての打ち合わせ
田島宮内府長官が三時半に来訪。Abdicationをしない件について色々打合わせた。これはMacArthurと近く話す予定にしているのでその応対振を協議したのである。この点は差当り最も重要な問題である。両者は完全に意見が一致した。『芦田均日記 第2巻』(201p) 原文は旧かな芦田均日記〈第2巻〉/外相から首相へ 連合の模索を挫折芦田 均 進藤 榮一 岩波書店 1991-10by G-Tools
View Article芸術院の会食
谷崎潤一郎、柳田国男、佐藤春夫、野上弥生子は欠席カメラマンが写真を写したりして正午過から御陪食。一時に行って見ると御茶の席へお移りになった所、話しはいい工合に進んでいる。お上の左の方へ順に森戸文相、志賀直哉、長谷川如是閑、正宗白鳥、辰野隆、お右の方へ三笠宮、高橋芸術院長、小杉、里見、久保田、長与、お上の正面に長官と侍従長という陣取りである。実に愉快な自由放談で尽くる所を知らない。終わったのは三時近く...
View Article芦田首相、辞職の報告
三時に宮中にお茶の会に召されている。今日は九人の閣僚がいたが、案外朗らかな空気であった。 四時に終了。私は引見室の隣で陛下に内謁見を願った。そして「辞職の決意を致しました。御許を願います」と申上げた。陛下は落着いていらせられた。議会は開くのかとの御尋もあった。その後で私は両三日来知り得たお堀端の空気が吉田茂氏等に対して良くない旨を奏上した。...
View Articleシーボルトと芦田の会話,芦田の発言
このとき芦田首相は昭和電工事件で辞職したばかり「総辞職の決定を報告するため陛下にお会いした時、陛下は裁判の判決がわかるまで東京を離れるつもりはない、と申された。その時の陛下の口調と態度から、もしや退位を決意されたのではないかと直感したのです」「それで困っています。もし陛下がお辞めになるとすると、代わりに立派な摂政を見つける問題が起きますが、わたしの感じでは秩父宮も高松宮も国民の人気がないので、適任だ...
View Articleマッカーサー、シーボルトの会話
マッカーサーの発言「実は自分も天皇が退位を考えているのではないか、あるいは裁判判決による強い感情的緊張から、ひょっとして自殺さえ考えているのではないかと、心配していたところだ」「東京裁判の判決は、いわば一トン分のダイナマイトを爆発させるようなものだ。誰もそのあとに何が起こるか予見できない。天皇が判決の衝撃で一時的に判断力を失ってしまう怖れがある。だが天皇は退位を考慮しているとは思えないふしもある。噂...
View Articleマッカーサーからの退位反対の意向
首相参内 11:30ー12:30 前日Mcと会見の結果 Ab(退位)など決して然るべからずとの彼の意見のこときく「田島日記」(加藤恭子『田島道治』に所収(221p))(ひらがな部分、原文はカタカナ)田島道治―昭和に「奉公」した生涯加藤 恭子 阪急コミュニケーションズ 2002-07by G-Tools
View Article退位せずの書簡
この日、東京裁判の判決 東条英機以下7人が絞首刑、25被告全員が有罪 天皇のマッカーサー宛の書簡連合国最高司令官 陸軍元帥 ダグラス・マッカーサー閣下 謹啓...
View Article村井長正の見たこの日の天皇の様子
村井長正の回想「陛下は眼を泣き腫らして、真っ赤な顔をしておられた。生涯忘れられないお顔である。私は恐れおののき、視線を落とし、二度とそのような陛下を見まいとして要件だけ述べ、顔を伏せたままドアを閉めた」橋本明「封印された天皇の「お詫び」」(鶴見俊輔・中川六平編『天皇百話』所収(711ー712p))天皇百話〈下の巻〉鶴見 俊輔 中川 六平 筑摩書房 1989-04by G-Tools
View Article宮中の様子
「入江日記」による宮中の様子ラヂオのスイッチを入れると丁度極東軍事裁判の判決を言っている。広田、土肥原、松井、武藤、東条の五氏に絞首刑、東郷氏二十年、重光氏七年、他は終身禁固刑ということ。木戸さんが絞首刑にならなくて本当に結構だった。今夜ははしなくも祝宴のようなことになった。広田さんのは実に不思議だが、文官の代表という意味か或はマッカーサーの特赦の余地を残したものか、後者であってくれればよいが。『入...
View Articleキーナンとの御陪食
キーナンが26日に帰国するのを前に天皇と会食入江日記には「キーナンとの御陪食がなかなかおかかりになり」とある。『入江相政日記 第4巻』(119p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社朝日新聞社 1994-10by G-Tools
View Article東京裁判、死刑執行の噂
入江日記によるとこの日、明朝に東京裁判の絞首刑の執行が行われるという噂が流れる。『入江相政日記 第4巻』(120p) 入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社朝日新聞社 1994-10by G-Tools
View Article天皇の三谷隆信に対する辞意
この日、皇太子の15歳の誕生日。そして、東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章の7人のA級戦犯が処刑される。天皇一家は予定されていたすべての行事を取りやめ、服喪の一日を過ごす。これは村井長正が田島道治から聞いたとされるもの陛下:三谷、私は辞めたいと思う、三谷はどう思うか。三谷:お上が、ご苦痛だと思し召すほうを、この際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほ...
View Article皇太子の誕生日
東條以下七名は、一九四八年(昭和二十三年)十二月二十三日に絞首刑に処せられた。天皇陛下はその日一日ひきこもっておいでになり、皇太子殿下は参内して御家族と一緒に十五回目の誕生日を祝うことがお出来にならなかった。エリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人『皇太子の窓』(275p)皇太子の窓 (1953年)小泉 一郎 文芸春秋新社 1953by G-Tools
View Article田島日記この日の記述
東宮御誕辰 小金井へ拝賀3ー5 帰途 山梨大将 話題 英語 鴨猟 Blyth 鈴木大拙 10.30 両陛下へ拝賀 皇族 皇太子御使 長官等四人 旧奉仕者 侍従職 食道 赤飯ト煮〆「田島日記」(加藤恭子『田島道治』に所収(239p))田島道治―昭和に「奉公」した生涯加藤 恭子 阪急コミュニケーションズ 2002-07by G-Tools
View Article退位論を持ち出したとされる三淵忠彦について
最高裁判所の判事については三淵忠彦氏に×印をつける『入江相政日記 第4巻』(165p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社朝日新聞社 1994-10by G-Tools
View Article皇后還暦後の発言
昭和天皇62歳。那須御用邸での会見より記者:両陛下そろって還暦を迎えられたご感想は。天皇:私的なことだから感想はないが…。六十年生きてきて、何ひとつ立派なことができなかったことを悔いている。これから国民のために、できるかぎりのことをやっていきたいと思う。国際親善のためにも尽くし、世界の平和を願っている。高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』(126p)陛下、お尋ね申し上げます―記者会見全記録と人間天皇の...
View Articleもしも一般人になったら
『ニューズウィーク』バーナード・クリッシャー東京支局長による訪米前のインタビュー記者:陛下は一日でも一般の人になって、誰にもまったく気付かれず、皇居を抜け出し、気ままに振るまってみたいとお考えになったことはありませんか。仮に実現したら何をなさいますか。天皇:心の奥底では、いつもそう願ってきました。おそらくマーク・トウェインの『王子と乞食』のようにね。もし、そのような願いがかなえられるなら、たぶん結末...
View Article退位の書簡を認める発言
昭和天皇77歳のときの会見より記者:今年の夏、米国のマッカーサー記念館で、昭和23年に陛下が田島長官を通じ、「退位せず」というご決意を表明された書簡が公表されました。...
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